最近ブログを書いていなかった事もあったけど、ブログにはちゃんと記録を残しておこうと思いながらも早四ヶ月…
何だろう…上手くまとめられないのだ。
だから逆にTwitterへどっさり書いていた気がする。
思いついた事や伝えたい事は全部…
自主避難…
福島県郡山市から…
『え?郡山って被害少なかったんじゃないの?』
僕にはこの言葉が一番のショックなのだ。
確かに…津波のあった沿岸部に比べたら、対した事ないのかもね。
でも被害がなかったわけではない。
私の住んでいたところは、倒壊こそしなかったが水道管が破裂。
天井から水がだだ漏れ…
それどころか、家の中のものは棚の中にいれていたものから何から何まで皆引っくり返った。
唯一、ひっくりかえらなかったのは、メインパソコンと、それに繋いでいる二枚のディスプレイだけだった。
パソコンキーボードは水にやられて死亡。
鍵盤は何とか無事だった。
本震のあった当時…
私は、お客様の所で作業中だった。
エリアメールが鳴る
『なんか地震が来そうですね』
福島は岩盤がしっかりしているって言われているから対した事ないんだろう。
誰しもがそう思っていたに違いない。
だが…見事に裏切られる。
それは言葉では書き表せない…
建物が折れてしまうのではないだろうか?と思うような揺れ…
外は晴れていたはずなのに何故か猛吹雪になっているし…
沈み込んでしまうんじゃないの?
建物崩れてペッチャンコになって死んじゃうんだな…俺
日本沈没か?
お客様は『頼むからおさまってくれ!』と叫ぶ…
大きな冷蔵庫がガッタガッタしていて今にもひっくり返りそうになっているものを必死で押さえるお客様…
自分はと言うと、お客様の液晶テレビとパソコンを支えたためにもう身動き取れず…足を踏ん張って自分の体を支えるのが精一杯だった。
兎に角あの時間は長かった…本当に長かった。
揺れがおさまる。
ようやくお客様も落ち着く。
チャンネルをNHKにしよう…
その時…私の脳裏に『津波』の文字があった。
その日はたまたま郡山市内での仕事だったが、その頃仕事で多く回っていたのは南相馬市や相馬市、双葉郡浪江町、同じく富岡町等であった。
だから津波は他人事ではなかった。
だがすぐにまたそれなりに大きい余震が来る。
これはもう…建物の中にいるのは危険だ。
私のいた所は県営住宅の4階だった。
面白いもので、自分の中では平気と思っていても、体と言うのは正直で…恐怖感からなのか、足はガックガクに震えっぱなしだった。
それは階段を降りて地上に出てからも続き、余震がおさまるまでの間車の中に居たが、しばらくは震えたままだった。
たまたま、自分のいる位置から見える風景は、県営住宅にはヒビ一つ入ってなく、電信柱も倒れていなかったので、あれだけの強い揺れが来ても大丈夫なんだな…と少し安堵していたが、余震もある程度間隔が空いてきて揺れが小さくなってきた頃を見はからって、県営住宅街から一歩外に出ると…それは信じられない光景であった。
家の外壁はなぎ倒され、瓦屋根は皆落ちて道路に散乱している…
信号は停電してしまい大渋滞…
警察官が手信号を行うまでは大混乱…
そんな中を消防車や救急車が行き交う…
コンビニは食料や飲料を求める人たちで一杯になり、道路のあちこちで交通事故が発生していた。
また、殆どの建物が基礎の部分にひび割れを起こしていたり、傾いた建物があったり、道路は道路でうねってしまい、隆起した所や陥没した所が多数…また橋桁がずれてしまっている道路も多数あった。
家の壁そのものが落ちてしまった所や壁のタイルは剥がれ落ち…
あちこちのスーパーでは天井が落ちた。
しかし、そんな事は繰り返される津波の映像、津波後の残骸映像で忘れ去られてしまっているかのように…
『そんなに被害がなかったのでしょう?』と言われてしまう事がショックでならない。
もう一つ…
その問題は2011.3.12 16:00頃発生した。
『福島第一原発一号機 水素爆弾』
この映像を見て誰が安全だと思えよう?
私はたまたまその映像を目の当たりにしてしまった。
大変な事が起こってしまった。
だがすぐには動かなかった。
一応会見を待つ事にした。
その会見は延期された。
この時点で既に私は疑い始めていた。
どうやらただ事ではない事が起こり始めているなと…
それでも会見を待った。
しかし…その会見は納得出来るものでは無かった。
何か隠している…
そんな雰囲気が見え見えなのだ。
私は見切りを付けた。
自主避難しようと…
そう…どっちかがなければ避難なんてしなかったのだろう…
原発の問題がなければ、避難はしていなかったと思うし…避難したとしても近場で済んだ。
逆に、住む所が何ら問題が無くて、原発の問題だけだったら、未だに避難していなかったかもしれない。
余震続いていたし、済んでいる所も衛生面で問題が出そうだった。
その上にミスミス放射能に犯されるのは…
会見を見ながらふとある事に気が付く…
あれ?
最初に水位が下がって危険と騒がれていたのは二号機じゃなかったっけ?
大急ぎで過去のニュースをあらう。
そう…水位が下がったと言うニュースがあったのは二号機だったが爆発を起こしたのは一号機…
この矛盾が私の中で一番引っかかったのだ。
つまりこれが何を意味しているのか?
私は、念のため安全を確保するために避難しよう…と決心した。
だがその時の私にはまだ帰る事はできるとおもっていた。
少なくともすぐに終息してくれるだろうと…
夜8:00頃には事務所に連絡…
自主避難の意を伝え、了承を得る。
最低限必要なものだけ持って埼玉県川口市を目指した。
何故埼玉県川口市だったのか?
それは知り合いと一緒に避難したのだが、知り合いの親が持っているアパートがありその一室を使わせてもらえるかもしれない…と言うのがあったから。
だが、それは脆くも崩れ去る。
知り合いの家族間で大騒動に…財産を云々カンヌン…
過去に家族間で問題があったらしいが、こういう時に…そんな事言うんだって思った。
困り果てたが、知り合いの知り合いの方が泊めて下さった。
だがいつまでもいる事は出来ない…
ホームページから避難所がこの辺りに開設されていないか調べてみると、出てきた。
こうして避難所生活が始まった。
そうしている間に、原発の事態は私の描いた最悪の方向をたどっていた。
何と無く予測できていた。
そして何より避難エリアを疑った。
誰かが言っていた。
民主党政権はいざとなれば福島県の一つくらい捨てるだろう…
それは福島県から埼玉県までの道のりをドライブCASしていた時の話だ。
私はこの時に放った言葉を今でもよく覚えている。
『マスコミの報道や政府の言う事が必ずしも正しくないと言う事はネット社会に生きる皆さんならわかっていると思う。僕の言う事が正しいとは言わない。ただ確実に言えるのは自分が正しいと思う情報を元に動くこと。国が国民を守っていないんだもの。自分の身は自分で守るしか無いんだ。』
今は県の災害対策本部が用意してくれたホテルで生活している。
一見良さそげに見えるかもしれないが決してそんな事はない。
早く落ち着いて暮らせるようになりたいものだ。